― 1月版レポート ―
英語版「少年ジャンプ」米国でデビュー
朝日ウィークリー12月8日(Vol. 30 / No. 49)より
1月25日(土) 午前10:00〜12:00
コーディネーター:村上知子さん
ファシリテーター:Lucas Zastrow
ゲスト:Justin, A'ishah, Bianca

コーディネーターの村上知子さんはマンガ好きで、1冊90分もあれば、よんでしまうそうです。先月のセッションでの日本のカラオケ文化がアメリカでブームと言うトピックスに関連を持たせて、日本文化の外国での取り扱われ方に言及し、日本の漫画が「マンガ」として通じるようになり、「少年ジャンプ」というマンガ雑誌が発売されたという記事を選んだそうです。この村上さんからLucasさんに「あなたはマンガをどう思うか」という問いかけから本日のセッションが始まりました。その答えは、どうだったと思いますか? 若者らしく「とても好き」と言う答えがもちろん返ってくると期待をされていたはずです。ところが「どんなマンガも読んだこともない」と言われ、知子さんは少しショックを受けたようです。

はじめから波乱含みで、この日のセッションは始まりました。日本のマンガはストーリー性があり、続きが読みたくなるから中毒になるのだ。とか、ストーリーの中身がスーパーマンのような現実味のない物もあるけれども、もっと生活に根ざしたラブストーリーとか学校ものとか種類がとても多いのでおもしろいのだ。などさまざまなコメントがあちこちから出てきました。

マンガに始まり、小説と小説をもとに作成された映画と比べると、小説がおもしろいのは、小説の方がイマジネーションをかき立てられる要素が多いからとか、次々に話題が飛び交いました。fairy story (童話)にも話が及び、「桃太郎」がマンガになったらどうなるかとか、「武蔵」をマンガで初めて読んだ人は、吉川英治の小説の武蔵とあまりにも違う点に気づかず、あやまって理解をしてしまうのではないかなど。

この日の参加者にGlobal Sessionそのものをどういうものだと理解しているのか聞いてみました。

参加することを楽しみに来ている。その理由は、緊張しなくても良いことや、いろいろなネイティブスピーカーの普通の自然な話しぶりでさまざまな意見が聞けると言う点など。また、いつも文化の違いに気が付くと言う点もある。

英語に触れたくて来ている。本物の英語で、さまざまな考え方を聞けるのがいい。

英語が聞けることと、ひとつのテーマに絞って、2時間近く集中しているが、実際は気楽に参加している。

Bianca: 以前仕事で、別のところで英語を教えたときは、あまりみんなが話もしないので退屈と感じた。今日は、様々なことをこのように深く話し合いができてとてもうれしかった。

日本語で話すくらいに英語で話したいと思って学習している。何しろ「フルタイムの英語学習者」なので。ユニークな意見が言えたらと思う。

4人の外国人も参加してもらってとてもおもしろかった。いろいろなところの出身者がいて良かった。

外国に3年住んで帰ってきたばかりの時は、日本が合わないのではないかととてもフラストレーションがたまった。けれどこのセッションに来るようになって救われたような気がする。海外にいたときには、話しているときのtopicsの投げ方がとてもうまいと感じた。たとえば、テーブルの上のドレッシングやワインひとつでも会話を広げていける。ここでは、トピックスは決めていても話題はいろいろな方向に広がり、いつもあとでおもしろかったなあという感じが残る。私は英語に慣れると言うより、話題の広げ方を学びたい。

Justin: 今日で自分の考え方が大きく変わったような気がする。いろいろな考え方を聞けてとても楽しんだし、学んだと思う。ありがとう。

まだ、2回目の参加だけれども、続けることが大切と言うことで、ずーっと来たい。無理にしゃべらなくても良いと言う点が緊張しなくてもいいのでリラックスできる。今日は、途中で言いたいことが出てきたが、初対面の方の前であまり話す習慣を持っていなかったので今度からは話してみたい。ちょうどなわとびの輪の中にタイミングを見て、飛び込んで行くような感じかなと思っている。今日のマンガのトピックスは、ちょっと息子の世代がわかったような気がする。仕事が忙しいと小説を読むより、マンガのほうが気楽だという。

自分の目的は、ネイティブの英語がきけるから。話題の中で異文化に触れるのが楽しい。今日は、世代のちがいをマンガのテーマでわかった。「サザエさん」の世代で、マンガに求めるのはユーモアであったが、きょうは息子の世代が少し理解できた。会話に飛び込めないのが残念。

楽しく、リラックスして参加している。

日本人の現代の風景として最近こんなのを見た。大阪への電車の中で30代の男性が、真剣に集中してマンガを読みふけっていた。50代の男性は、リストラされた人のようで意気消沈していた。その隣は30代の女性で、仕事を楽しんでやっているようでキャリアウーマン風だった。こんな様子がこのごろよく見られる。コーディネーターとして、時々水曜日にやっているが、その時はどのようにトピックスの方にテーマを引き寄せるか緊張の連続だ。文化の違いなどにトピックスが行きがちなので、できるだけホットな話題を取り上げたい。質問しないという取り決めをしているが、コーディネーターとしては聞きたいときもある。聞いてくれたらと思っている人もいるはず。

2回コーディネーターをしたが、今回はあまりオーガナイズしないで、話題の流れるままにしていた。いろいろな世代の人がいて、自分の知らないことや経験していないことを知る機会になる。トピックスを決めることはとてもむずかしい。きょうはこのテーマで、マンガもさまざまなメディア、表現方法のひとつと考えてほしいと思って選んだ。これからは思っていることをそのままことばにだせれば、話題がつなげていけるのではないかと思う。コーディネーターではあったが、自然な会話の流れの中にわざわざ入っていくのもどうかと思い、一人で心の中で話していた。

Lucas: 話すのも好きで聞くのも好き。きょうのマンガについては、何にも知らずに参加して、おもしろくないものと思っていたが、このセッションが終わった後では心を開き、ちょっとおもしろいのかもしれないと言う気がしてきた。話したり聞いたりすることで、突然何かが起こることもあるので楽しい。

A'ishah: 毎日違う日本人にあうと、聞かれることはいつも同じ。このようなところで、深くディスカッションができてうれしい。このような形で外国人のための日本語のGlobal Sessionをしたいと考えている。

ここには先生も生徒もいないと言うことを理解できないfacilitatorもいた。先生という仕事は、自分が何かをやってあげなければならないと言う義務感に固まっている人が多い。学習するための参加者の集まりだと自覚をしたい。

毎月1回土曜日か日曜日の午前中に研究会を開催しています。
自由参加(ただし、資料を1週間前までに郵送しますので、初めてのかたは、要申し込み)
会費:500円
定員:なし(興味のある方は、どなたでも)
連絡先:Tel 0771-26-5001 Fax 0771-26-5002 担当:児嶋きよみ



― 12月版レポート ―
対話形式の目的

12月21日(土) 午前10:00〜12:00

1999年7月17日に仙台から横瀬和治氏(元UCLA教授、21世紀を拓く私塾 Neo ALEX 主宰)を迎え、衝撃的なタイトル「知らないうちに英語を使っていた」でワークショップを始めたことが遠い昔のことのように思えます。その後、9月から毎月1回コーディネーターとファシリテーターを揃え、数人でセッションを始め今に至っています。実施回数も研究会(月1回)だけを見れば、40回を数え、週1回の講座(2000年9月開講)を加えれば、110回を越えました。このように回数こそ増えましたが、このセッションで目指すことは何であったかと時々は振り返り、道が逸れてはいないか再確認をする必要があります。日本人が外国語を学ぶために、なぜ対話形式を最も有効と考えているかを再度取り上げてみました。

横瀬氏の「新コミュニケーション序説」から

私たちは従来、あまりにもことばをそれ自体で独立したものとしてとらえすぎてきた。最近ではその反省の上に立って、「前言語」コミュニケーション(preverbal communication)や身体的コミュニケーションに関心が持たれるようになってきている。

Global Sessionでは、すでにできあがってしまっている「ことば」の静止した構造を眺めて、それについて「学習」するだけではなく、その生成のプロセスを実体験してみることを目的としている。

人と人とのコミュニケーションは、互いの間に共通のものを作り出す営みであり、ふたりの人間の頭をコードで結ぶことではない。ことばは人が外の世界とわたりあって獲得するものというより、大人と子ども、あるいは子ども同士がおたがいに同調し、共鳴し、共同世界を作る共同行為の中から生まれてくるものである。

(学びの対話的実践へ)
先生が教え、子どもが学ぶと言うことが当たり前の時代は去った。子どもが学ぶ。先生がそれにつきあう。知識を伝達されたり、獲得するのではなく、自分たちで知識を作り出す。そういう時代がもう来ている。このセッションでは、先生も生徒もいない。いるのは、あるトピックスを追求しようとワークショップに集まってきている参加者だけ。その中に英語を母国語として操る参加者(ファシリテーター)と、英語をもうひとつの言語として駆使する日本人参加者(コーディネーター)がいて、それぞれの役割をになう。英語をネイティブの先生が教え、生徒が学ぶ(いわゆることばの教室)から、このセッションでは参加者が英語で互いに学び合う共に探求する集まりに変化することをめざす。

学ぶためには、出会いと対話が必要になる。すなわち、ものや他者や自分との出会いなしには学びは成立しない。また、ものや他者や自分との対話を含まない学びは存在しえない。学びの場と学び合う関係とを創り出すことをGlobal Sessionの目的としたい。

グローバルセッション参加者の声

この目的で、コーディネーターとファシリテーターの対話形式での学び合う場に、単に教えてもらう関係ではない状態で参加されて来られた参加者(participants)の声を聞いてみました。

英語を教える仕事に関わって長いが、その間「日本人にいかにしゃべらせるか」についての課題を抱えてきた。日本人が決して真剣に物事を考えていないのではない。日本語でおしゃべりな人は英語もおしゃべりである。セッション参加者もコーディネーターがどのように準備しているか知ったほうが、受け身で無くなると思う。また、対話の中にどのように入っていくか工夫してほしい。

OSU京都校のころから、さまざまなアメリカ人の先生達の講座を受講しているうちに、陶芸をやっている私のところで作陶をしたいという外国人が来られるようになった。今では年間100名以上の外国人が、英語での説明を受けながら、ワークショップとして行程に組み込まれている。私自身は、その後もこちらの英会話講座に通いながら学習を続け、一方では帰られたOSUの先生方との交流も続けていた。その間、手紙を書き、返事をもらい、一方の英文のおもしろい部分を別の人への手紙に書いたりして、有効利用させてもらった。英語はコミュニケーションの道具として使ってきたと思う。

高校で長年物理学を教えてきたが、英語も興味があり自分の専門分野を英語で説明できるようにと続けている。娘といっしょでうれしいような、はずかしいような思いでいる。

住宅建築の仕事をしてきたが、退職した今は語学の学習に打ち込んでいる。日本人が国際舞台でしゃべるのがへたという場面を見ると、今までの教育をふり返って考えることが多い。 話すと言うより、覚えることを主眼にしてきたような気がする。

京都市の文化博物館主催の京都の英語ガイドを8年間続けている。ここでは、熱心に学習する友人達に恵まれ、とても楽しい。

36年間中学校で英語教師をして、退職して3年になる。退職直後は、家にいることが楽しかったが、そろそろまた学習したくなり、続けている。学校での同僚とはまた違った友人ができ、楽しみながら来ている。

安い受講料に引かれ、英語を学び初めて6年になる。3年目の時ホームステイプランに乗り、単身オーストラリアに短期研修に出た。学校へ行ったり、観光もしたり、ホストファミリーとの交流もしてとても楽しかった。帰国してから更に学習したいとの思いが高まった。

高校の英語教員をしている。ここへ来て、今まで学校現場では、目の前の具体的な子どもの話以外に自分の意見を自分のことばで話すという機会があまり無かったということに気づいた。

このセッションでは、トピックスをコーディネーターの好みで選んで来るので、毎回変わる。変わることは良い場合もあるが、ひとつのテーマをもっと追求していきたい場合もある。関連性のあるトピックスをつないでいくという方法もあるのではないか。また、思っていることを話したいという欲求が強く起こって来ている。


― 8月版レポート ―
Is "Pledge of Allegiance"illegal?
8月4日(日) 午前10:30〜午後4:00
コーディネーター:井尻浩嗣
ファシリテーター:Lucas Zastrow

"I pledge allegiance to the flag of the United States of America and to the republic for which it stands, one nation, under God, indivisible, with liberty and justice for all."
 私は、合衆国国旗とそれが表している共和国、すべての者に自由と正義があり、神の下で分かつことができないひとつの国への忠誠を誓います。
 これは、米国の多くの学校で、授業の前などに生徒が起立して、星条旗に向かい宣誓 することばだ。しかし、この言葉に対して、先月末、サンフランシスコの裁判所が違憲判決を下した。なぜなのか?国民が受けた衝撃は?(朝日ウイークリー編集部)

記事の概略
 6月26日に、サンフランシスコの連邦控訴裁判所は、忠誠の誓いの神の下でのひとつの国というフレーズは、政教分離の考えを侵犯するために違法であるという判決を出したことに端を発し、政治的領域を越え、抗議の声がわき上がりました。とりわけ、アメリカ中の学校で胸に手を当て、毎日暗唱して成長してきた世代の人々を仰天させたのです。3人の裁判官メンバーからなる巡回控訴裁判所は、忠誠を誓うことは、米国憲法修正第1条の禁止条項に抵触するため、学校ではできないと言う判決を出しました。また、その判決は1954年連邦法で議会が、Under Godというフレーズがもっとも神聖で愛国的なアメリカの伝統のひとつであると規定した判決を取り消すべきであると上訴するのは確実視されています。
 憲法の観点からは、これらの2つの単語が宗教に関して中立であるということは無いために、"we are a nation 'Under Jesus,' a nation 'under Vishnu,' a nation 'under Zeus,' or a nation 'under no god'"というように異論のあるものとして考えられています。
 もし、この判決が効力を持つものならば、最大でもっともリベラルな控訴裁判所が数ヶ月の内に実施し、その裁判所の管轄圏内にある西部の9州(アラスカ・アリゾナ・カリフォルニア・ハワイ・アイダホ・モンタナ・ネバダ・オレゴン・ワシントン)において学校で暗唱するような方法は禁止されるはずです。
8月11日朝のCNNニュースより:この件に連邦裁判所が介入予定

内容は、結構重い感じのものでしたが、コーディネーター以外からの意見や質問も活発に出ました。「Godと聞いたときにふつうどんなGodを想定するのか」、「LOYALTYとは」、「LoyaltyとPatriotismは、どうちがうのか」、「ロイヤルティー、愛国心、Identityのちがいは」などなど。

日頃、あまりこのような感情について日本人同士でディスカッションをしないできたので、まず、自分の頭にその感情を載せるようなところから始まりました。聞いても考えても言葉に対する思いの違いが際だつことはありましたが、なぜ、そのようにアメリカの人が思うのかまでは、理解できませんでした。多分、アメリカ人のfacilitatorも同じ気持ちが残ったのではないでしょうか。

午後の部 グローバルセッションの持ち方についての研究会から

1. 自己紹介
英語での紹介あり、日本語でのもありとなんでもありで、なかなか、どの方も自己アピールがうまいので、いつもながらとてもおもしろい時間です。今春シンガポール日本人学校から帰国したばかりの先生とか、静岡からの出席で朝6時台の新幹線で毎月来ている方とか、高校生の留学のためのNPOを主宰している方とか、ご主人の海外勤務を予想して、英会話の実力アップをねらっている方とか、外国人のための陶芸ワークショップを開催し、年間100名くらいの外国人がつぎつぎ訪問している陶芸家の方とか、様々です。

2. 参加している理由
英会話講座で自分の話す番に少し話をして「英会話をした」ということに なるのだろうか。このセッションでは、1時間半の間にひとつのテーマを追求し、その間はなしがあちこち飛んだとしても深く深く掘り下げていくことができるのでおもしろい。

もっぱら聞くことで参加している参加者から「黙っていて、はなしをしないとフラストレーションがずいぶん溜まるのではないか」という疑問に対して、「ほとんどたまらない」。そのわけは、ふつうの英会話講座だと順番に当てられることが多く、自分の順番が近づくとはらはらして他人の話を聞く余裕がなかった。けれども、この講座では、当てられないと分かっているのでかえって落ち着いてはなしの内容に集中できる。

少しでも会話をしなかったら、満足できないのではないかと考える場合が多いのですが、ひとつの思いこみかもしれません。 

3. facilitatorからの疑問
「英会話の講師としての立場からこの講座をみると、ひとりか二人がはなしをするだけで、十分なのだろうかと時々疑問が起こる。私は、みなさんが英語力を伸ばす手助けをするためにいるのでみなさんがそれで満足であれば、それでいいけど。」

この種の疑問は時々あり、特に英会話の先生を職業としている参加者からもよくあるものです。facilitatorは先生という立場では無く、他の参加者と同じ立場なのです。そのため、できる限りの知恵を振り絞らなければ答えていけないような場面に追い込まれると、そのような余裕が無くなってくるのですが、時々コーディネーターの目でファシリテーターが見てしまうために起こる疑問ではないでしょうか。
実際の英語での会話を聞き続けることによって、いままでの蓄積された力が、ぽーんとはじけるように話し出すことが、たまにありました。
ある人は、コーディネーターとして少し時期をおいて参加した場合、以前と大きく違ってきた点が、「多くの人がはなしをし始めた」ということであると言っています。

回数を重ねることによって知らない間に、確実に変化が見えてきたようです。

文責 児嶋 きよみ



― 6月版レポート ―
How the World Cup will fight hooliganism
6月5日(水) 午後7:30〜9:00
コーディネーター:阿部範成
ファシリテーター:Lucas Zastrow
 ちょうどワールドカップが日本と韓国で開催されている最中の興味あるトピックスでしたが、始まってすぐ、ファシリテーターのLucasが「 小さい頃、母親から、Don't be hooligan とよく言われた。」という話が出てきました。現在の日本語で言う(フーリガン)ということばは、(サッカーの熱狂的ファン)と同義語として使用されているように思っていたのに、ちょっとちがうのではないかと思えてきたのです。
 Hooligan とは、アメリカ人からみたらこのような人をいうそうです。
 "I thought hooligans were bad guys who rode around on motorcycles and were in gangs or people who might rob stores or do a lot of drugs."
 "Hooligan"の後、ロサンジェルスで数年前に起きた黒人青年が何人もの白人警官に殴打され続け、その後起きた暴動を"Riot"というという話題が出ました。この場合は、"race riot"として世界中に知られることとなりました。
 "South Korean's World Cup deputy director of security Park Sang - Hwan said, ' Many people in the world find Korean women very attractive. Having these policemen on the front line has had quite an effect.'" By Tom Fordyce / BBC Sport Online
この記事に対してさまざまなコメントが参加者からあふれ出てきました。
 *これは、ジョークならおもしろいが、本気なら、ジェンダーの差別の範囲ではないか。
 *Koreaの慣習として男の人は、女の人より強いと見られてきたのを最近は平等であるというのをワールドカップを機会にアッピールしたかったのではないか。
 *ワールドカップのためにきれいな女の人を警官としてわざわざ採用したのではないか。
 このように知っていると思えるような周知の事実が実は、国を変えれば全く違う意味であったり、まさかと思えるようなことが大まじめで語られていたり、毎回続出していろいろ驚くことばかりです。
 これらの会話は全部英語なのですが、初級・中級の参加者も何となく話されている内容がわかるのでおもしろいようです。夜の7時半から9時というリラックスしたい時間帯にわざわざ集まってきてみんなで集中して物事を考えるというだけでもすばらしいことです。それが、1.5時間があっという間におわるというのも驚きではありませんか。

興味のあるかたは、是非、見学においでください。常時、10人くらいの参加者がいます。
                               
文責 児嶋 きよみ



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